三浦友和&山口百恵 ラジオカラフルポップコーン
三浦友和と山口百恵 ラジオカラフルポップコーンとは?
1978年10月~1979年3月 月曜日 PM8:00~9:00,ニッポン放送
山口百恵、大石悟郎とのコンビのラジオ番組
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山口百恵の複雑な生い立ち
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山口百恵のラジオカラフル・ポップコーンというラジオ番組を知っていましたか?
1978年10月~1979年3月 月曜日 PM8:00~9:00,ニッポン放送
大石悟郎さんとのコンビ
山口百恵・三浦友和コンビが“ゴールデン・コンビ”と呼ばれていたのに対抗し,
山口百恵・大石悟郎コンビを“プラチナ・コンビ”と言っていた。
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デビューから引退まで続いていた、山口百恵のラジオ番組
<タイトル>
山口百恵のモモモモ 30分
山口百恵のラブリータイム
山口百恵と大石悟郎のフォーエバー・フォーク
山口百恵のスーパー・ライブ・カンパニー
山口百恵のカラフル・ポップコーン
山口百恵と宇崎竜童のローリングタウNo.1
山口百恵 夢のあとさき
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ラジオ番組で山口百恵に捧げた歌 by 宇崎竜童
君が誰かを愛しはじめたとき
ラジオ番組の最終回の録音の日、地方のコンサートを終えた宇崎さんがスタジオに駆けつけた。
ギターを一本かかえて、即興で作った歌を歌ってくれた。
短い歌だった。
大人になりかけている少女に、もし恋をしたら、何も出来ないけど俺に話してくれるかい? と問いかけた静かな曲だった。
山口百恵自身が10年近く経っても曲の特徴を具体的に記憶しているくらいなので、よほど印象深かったのだろう。
“宇崎竜童さんの曲を歌ってみたい”と山口百恵に思わせた即興曲とは、一体どのような曲だったのか?
宇崎竜童のこの即興曲については、これまでずっと詳細が不明のままだったが、なんとつい先頃、当時のラジオ音源が奇跡的に発掘された。宇崎竜童が山口百恵に捧げた幻の名曲が、時を超えて今、蘇る!
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山口百恵のラジオ番組ラブリータイム──最終回('76年4月3日放送)
当時、毎週土曜夕方に放送されていたニッポン放送の〈山口百恵のラブリータイム〉
'75年11月8日から約半年続いたレギュラー番組。それ以前の'74年4月6日〜'75年10月25日にも同じ放送枠で〈山口百恵のモモモモ30分〉という番組をやっていたので、合わせると丸2年続いた。
パーソナリティは山口百恵1人だけで、レコードや葉書の紹介、リスナーが作った詩を朗読するコーナーなどで構成された30分番組。宇崎竜童がゲスト出演した〈山口百恵のラブリータイム〉最終回は、'76年4月3日に放送された。
恐らくニッポン放送にも録音が残されていないだろうこの幻の番組最終回。
'76年4月の放送時、これをカセットテープに録音したファンがいた。
番組をほぼ完全収録したその貴重な音源(25分)録音状態は決して良くないが、これは奇蹟の音源と言っていい。
最新シングル「愛に走って」('76年3月21日発売)で番組は始まり、リスナーの葉書紹介に続いて、山口百恵が軽く近況報告(映画『エデンの海』('76年4月24日公開)の撮影で伊豆へ2日間行ってきた云々)を行い、番組が今日で終わることを告げている最中、前橋から駆けつけたという宇崎竜童が突然スタジオに現れる。
“嬉しいな、どうしよう、やだ〜”と感激する百恵に対して、宇崎竜童は“今日、終わりだっていうからさ~また今日、綺麗ですね!”といつも通り軽口を叩く。
当然、山口百恵は宇崎竜童がゲスト出演することを事前に知っていただろうが、実際にスタジオに現れた彼を見てかなり感激したらしく、喋りながらちょっと鼻をすすっている。
番組を2年間続けてきた感慨を山口百恵が喋った後、宇崎竜童がギターを持ち出して、この即興曲を披露する。
“あのさ、俺、僭越ながらね、山口百恵さんに捧げる歌っていうの作ってきたの。大した歌じゃないんですよ。今、チョロチョロって作ったからね。これは、捧げるっていうよりか、俺の気持ちなんだよね”と前置きしてから、宇崎はアコギを弾き始める。メジャー調のコード、緩やかなテンポの伴奏に乗って、彼はソフトにこう歌う。
~♪~♪~♪
そうさ 君は知らないはずさ
あの頃はただ可愛くて
そうさ 俺の知らないうちに
とても近づけないほど
君は大人になってしまった
わかってほしいなんて思えないけど
君が誰かを愛しはじめたときは
俺に伝えてくれるかい?
~♪~♪~♪
題名もない60秒の曲。
“わかってほしいなんて思えないけど”以下がサビで、これでちょうどワンコーラス分。
穏やかで古めかしいロッカ・バラード調の曲だ。
大人になりかけている少女に、もし恋をしたら、何も出来ないけど俺に話してくれるかい? と問いかけた静かな曲
歌い終えた後、宇崎竜童が山口百恵に対する自分の気持ちを語る。
当時、宇崎竜童30歳、山口百恵17歳。
宇崎は13歳も年が離れていることに照れつつ、自分が山口百恵に憧れを持っていること、自分が彼女のファンであることをストレートに伝える。
彼はこの番組に以前にもゲスト出演したことがあったらしく、最後だったら出して欲しいと番組担当者に自ら申し出たのだという。
“陰ながら応援してます。番組は終わってしまいますけど、頑張ってください”と激励された百恵は、感無量といった感じで鼻をすすって言葉を詰まらせている。彼女が宇崎竜童の歌と言葉に感動しているのは明らか。
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山口百恵の複雑な生い立ち
“宇崎竜童さんの曲を歌ってみたい”と山口百恵に思わせた即興曲。
山口百恵がそう思ったのは事実でしょう。
「横須賀ストーリー」はしばらく温存された後、'76年夏期の勝負曲として6月21日にシングルとして発売されることになった。
〈山口百恵のラブリータイム〉最終回の放送は、その温存期間中に当たる。
事実、宇崎竜童は放送の中でこう喋っている。
「これは発表していいのかどうか分かんないけど(これは採用されようがされまいが俺は構わないんだけど)
曲、書かしてもらったしね……。で、とっても俺は嬉しいんだ」
山口百恵はこのラジオ番組収録の時点で既に「横須賀ストーリー」のデモを聴いているし、恐らく既にレコーディングも済ませている。但し、「横須賀ストーリー」が採用されるかどうか、この時点では(少なくとも宇崎には)まだ分からないのだ。両者の運命が大きく変わろうとしている時期の、本当に貴重なラジオ音源。
そう、宇崎竜童は知らないハズ。
僕、覚えてないんですけど──自分で作った曲を忘れている宇崎竜童('09年10月、赤坂)
ところで、作者の宇崎竜童自身は、山口百恵に贈った即興曲のことをてんで覚えていない。
百恵のラジオ番組にゲスト出演したことすら記憶にないようだ。
'09年、引退、三浦友和との結婚以来29年ぶりに百恵とプライベートで再会した際、宇崎竜童は山口百恵からこの即興曲の話を聞かされている。
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現在の山口百恵はどうしているの?画像あり
山口百恵は30年以上経っても宇崎竜童の即興曲を忘れていなかった。
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タイトルは無し・・・山口百恵さんに捧げる歌、
っていうよりか、俺の気持ち(1976)
作詞作曲:宇崎竜童
E C#m A B
E C#m
そうさ 君は知らないはずさ
G#m C#m F#m B
あの頃はただ可愛くて
E C#m
そうさ 俺の知らないうちに
A G#m
とても近づけないほど
F#m G#m C#m G#m C#m
君は大人に なってしまった
A C#m G#m C#m
わかってほしいなんて 思えないけど
E F#m G#m C#m
君が誰かを 愛しはじめたときは
F#m7 G#m7 C#m G#m
俺に伝えて くれるかい?
C#m A Bm7 C#m
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山口百恵のラジオのレギュラー番組
1975年8月から始まった山口百恵のラジオレギュラー番組は,
三浦友和との結婚引退直前までニッポン放送で定期的に放送された。
大石悟郎さんや宇崎竜堂さんとのコンビでは,二枚目半の百恵ちゃんのおしゃべりが大好評。
普段のテレビ等では見られない,素顔に近い山口百恵。
三浦友和との結婚引退発表後,4月から10月まで放送された「夢のあとさき」は,ひとりの女性・人間としてリスナーにメッセージを送った。
これらの音源をCD化することはできないものか?とファンの皆さんなら待ち望んでいるに違いない。
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現在の山口百恵はどうしているの?画像あり
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■山口百恵のモモモモ30分
1974年4月~1975年10月,土曜日 PM4:00~4:30,ニッポン放送
初のラジオ・レギュラー番組。
最初は,高島秀武さんというニッポン放送のアナウンサーと一緒にやっていたが,夏過ぎには独り立ちをした。
“Lovely Poem”というコーナでリスナーの詩を紹介していた。
テーマ曲は「夢の恋人」(アルバム「百恵の季節」収録
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■山口百恵のラブリータイム
1975年11月~1976年3月,土曜日 PM4:40~5:00,ニッポン放送
『モモモモ30分』が途中からタイトルが変わり,『ラブリータイム』になった。
最終回では、あこがれの宇崎竜堂さんがゲストにきて、山口百恵のために作ったオリジナル曲を歌ってくれた。
山口百恵は感極まって泣いてしまった。
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■山口百恵と大石悟郎のフォーエバー・フォーク
1976年10月~1977年3月,水曜日 PM7:30~8:30,ニッポン放送
いよいよ番組も1時間サイズになった。
こののち3年間続く山口百恵・大石悟郎の名コンビがスタートした。
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■山口百恵のスーパー・ライブ・カンパニー
1977年10月~1978年3月,月曜日 PM8:00~9:00,ニッポン放送
ラジオだけで聴ける、二枚目半的な百恵ちゃんの喋りが大好評
大石悟郎さんとのコンビ第2段。
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■山口百恵のカラフルポップコーン
1978年10月~1979年3月 月曜日 PM8:00~9:00,ニッポン放送
大石悟郎さんとのコンビにもますます磨きがかかってきた。
山口百恵・三浦友和コンビが“ゴールデン・コンビ”と呼ばれていたのに対抗し,
山口百恵・大石悟郎コンビを“プラチナ・コンビ”と言っていた。
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■山口百恵と宇崎竜堂のローリングタウンNO.1
1979年10月~1980年3月,金曜日 PM8:00~9:00,ニッポン放送
ついに師弟コンビの誕生!
ゲストを招いての「THE 青春」,リスナーのはがきによる「夢文庫」
「ありそうでないもの なさそうであるもの」等のコーナーがあった。
この番組の放送期間中に,三浦友和との「恋人宣言」「結婚・引退発表」があり,山口百恵自身が心境について語っている。
最終回は公開放送で,芳野藤丸さん率いるSHOGUNがゲスト出演した。
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■山口百恵・夢のあとさき
1980年4月~1980年10月,日曜日 PM10:00~10:30,ニッポン放送
最後のレギュラー番組。百恵自身がデビューから今日までを語る
コーナー「ザ ストーリー」は、聴応えがあった。
番組がラストに近づくと,ファンをスタジオに招待して「トーキング コンサート」を行ったり、三浦友和との結婚引退前に自分の人生について語ったりするなど、大変充実した内容であった。
最終回は武道館LIVEの当日、打ち上げ会場から生放送された。
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