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山口百恵の父親は医者だったという噂

山口百恵の父親は医者だったという噂

山口百恵の父親は医者だったという噂の真相



山口百恵の父親は医者だった?

山口百恵の父親は韓国人だった?

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『山口百恵』で検索すると、検索ワード/フレーズの実質的なトップが,「山口百恵 父親」であることに驚いてしまった。「山口百恵 父」なども合算すると,物凄く多いのです。

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 それはたぶん,山口百恵の現役時代から、ちらほら存在し,20年以上も前に完全に否定された「山口百恵の父親は韓国・朝鮮系」説なのだが、それがいまだに亡霊のように残って,YouTubeのコメント欄やネット上の「教えてコーナー」のようなところで,訳知り顔で語られたりしているのだからビックリしてしまう。

 そしてその亡霊は,何度否定されても,時々甦って恐れられる。

山口百恵の父親が韓国・朝鮮系ではないかと言う噂



 山口百恵の父親が韓国・朝鮮系ではないかと言う噂は,現役時代や引退後にもあったように思う。

発生源は複数あると思われるのですが、(雑誌の特集記事に,『噂の真相』や『現代』に載ったいい加減な記事についての記載がある),確かにそんなゴシップ記事が時々流れた事を覚えている。

しかし,その発生源と思われる記事は,何らかの証拠に基づいたものではなく,「……という言っている人がいる」というレベルの記事でした。

 と,ここまで説明しても,本当のところはどうなのかしら?真相は?真実は?という疑問を持っている人が一割近くはいるのかも知れないけれど。

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山口百恵はいわゆる私生児として生まれ、5歳下の妹と共に貧しい母子家庭に育った。

父親は時おり百恵の家を訪れていたが、彼には妻子がいて、別の家庭があった。

山口百恵の父親は親としての責任を放棄していた



百恵と妹の2人をしぶしぶ認知してはいたので、法的には父親だが、親としての責任は、ほとんど放棄していたという。山口百恵の母は内職をしながら、女手ひとつで幼い娘2人を育てた。

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 娘(山口百恵)が芸能界に入ると父親は態度を一変させ、金銭目当てにその立場を主張するようになり、時にはマスコミ相手に売名行為をするなどしたという。終いには母親に対して親権変更まで申し立てた。父親の存在は百恵にとって次第に悪夢のような存在と化していった。

山口百恵、悪夢のような存在の父親との縁を切る



父親との縁を、山口百恵は結局、最終的に金銭で切ることになる。

 引退直前の'80年9月に出版された自叙伝『蒼い時』の中で、山口百恵は父親について強い口調でこう明言している。

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「私には、父親はいない。一つの肉体としてあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する」

 山口百恵が歌手を目指した事(あるいは、中学一年の夏休みに学校の許可を得て新聞配達のバイトをしていた事)は、家計を助ける為という美談になりやすいが、本人はそれを否定している。

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むしろ本当の美談は、母子家庭の貧しい生活にもかかわらず、コンプレックスを抱くことも、屈折してグレてしまう事もない、真っ直ぐな普通の娘に彼女を育てた母親の努力と愛情にあるのだが、山口百恵の持つ精神的な強さ、思慮深さ、洞察力の鋭さ、あるいは、大人びた風情、独特の憂いといったものが、その決して幸福とは言えない生い立ちに、ある意味、起因するものであることは間違いないように思われる。

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そしてそれは、正確な楽曲の解釈に基づく彼女の歌唱、奥深い歌世界にも確実に反映されていたのでしょう。

「歌手、山口百恵の誕生を語る時、ほとんどの人が、ひとつの理由として経済的な状況から逃げる為だったのではないかと言う。

 歌手という職業に憧れたのは、小学校の高学年の頃だったろうか。憧れたといっても、金銭的な大きさに憧れたのではなく、幼い少女がお伽話のヒロインを夢見る、その程度の気持ちだった。

 歌が好きで、周りの何人かの人に『歌が上手ね』などと言われれば、私は歌手になるんだと思いこむ、そのくらい単純な発想だった。第一、小学生である私が、経済的な手助けなどできると思うはずもなかった」(『蒼い時』)

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“幼い少女がお伽話のヒロインを夢見る”ように、というのは、確かに歌手・山口百恵の起点なのでしょう。

歌手志願が経済的事情によるものでないことを強調するため、“その程度の(軽い、ありふれた)気持ちだった”としているが、恐らく彼女は、誰よりも強く“お伽話のヒロイン”になることを夢見た少女だったに違いない。

そして、その決して普通などではない願望の強さこそが、彼女に「歌手」という職業への道を与えたに違いないと思う。

 彼女の場合、“お伽話のヒロイン”が必ずしも「歌手」である必要はなかったような気もする(結局は、幸せになれればいい)。しかし、彼女はたまたま人よりも歌が上手く、また、たまたまそのことに気付いた。そして何より、彼女は歌が好きだった(これが優れた歌手の第一条件である)。
そして、“お伽話のヒロイン”はいつしか少女の中で具体的になった。

歌手・山口百恵の物語は、自分がどうしようもなく抱え込んでいる喪失感、欠落感、飢餓感を埋めるための、探求の旅として始まったのかもしれない。

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そしてその旅は、まさしく王子様のような旦那さま(“三浦友和さんの奥さん”という存在証明)を見つけることによって終わりを迎えたように思えるのです。

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 山口百恵のような生い立ちの少女が必ず優れた歌手になれるわけではない。

歌手・山口百恵の基盤を成す大部分は、結局、歌手としての、類い稀な才能としか説明できないのだが、それだけでも優れた歌手にはなれない。大事なのは、人間として(女として)自分を表現へと駆り立てるモチベーションである。

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 そして、山口百恵は明らかに体当たりでしか歌えないタイプの歌手だったと思う。

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歌を演じるのではなく、歌を生きる。それは、自分の中にぽっかりと空洞のような部分(あるいは、誰かにならなくてはいけないような強迫観念)があってこそ可能なことだったに違いないと思う。

 彼女が歌手を辞めた理由はあまりにも明白である。

仕事と家庭の両立が云々などでは決してない(本当に歌いたければ、歌を続けただろう。旦那さんも協力してくれただろう)。

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仮に引退という選択肢がなかった場合、彼女ほどのステイタスと歌唱技術があれば、結婚後も職業歌手として立派にやっていけたことは間違いないと思うのですが、それまでのような高みに彼女の歌が到達することは決してないと思う。

彼女は単に、歌手としての自分の死期を直感したのだ。

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 現在、山口百恵は歌わない。歌って歌えないこともないだろうが、絶対に歌わない。

それは、彼女が自分の歌の最高水準を誰よりも知っているからではないのか。

お茶濁しのような歌は、彼女の歌手としてのプライドが許さない。逆説的ではあるが、歌わないことが、今でも彼女が一流の歌手であることを示しているように思う。

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山口百恵の父親との確執



山口百恵の父親との確執は、金銭、親権の要求などで決定的となり、百恵さんの意識の中で完全に父親を葬り去ったのだと思う。

 お金の相談を持ちかけた母に対して、17歳の百恵さんは「お金で解決がつくなら、父親に対して、何百万でも、何千万でも、借金してでも払ってしまえばいい」と語気を強めたという。

 山口百恵さんが父親のお葬式に行ったかどうかは分からない。

「幼い頃の優しい父」のお墓参りにはもう行ったのかな。それとも百恵さんの心の中には優しい父がまだ微笑みかけてくれているのかも知れない。



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山口百恵の芸能界での父親



視聴者や山口百恵ファンにとっては、『宇津井健』が山口百恵の芸能界での父親像ですね。

間違いなく、『宇津井健』、山口百恵の父親はこの人しかいない。

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晩年は、渡る世間は鬼ばかりの「おかくら」でおなじみ、「宇津井健」さんですが
山口百恵との共演の数々、特に“赤いシリーズ”で、より強い父親像が定着しましたね。



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ドラマ「顔で笑って」の主題歌
♪禁じられた遊び、のシングルB面にもなっています。

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ドラマの中で、宇津井健、山口百恵、お二人が親子役でした。

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パパは恋人 (山口百恵・宇津井健)デュエット曲



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作詞:千家和也  作曲:都倉俊一

☆ジャケットは山口百恵さんですが、メインは宇津井健さん。

この曲自体は山口百恵さんのシングル「禁じられた遊び」のB面に収められた当時の連続ホームドラマ「顔で笑って」の主題歌。

主演が宇津井健さんで、山口百恵さんが娘役としての共演でした。ですから、こういう形でのリリースと相成ったわけですが、この歌自体は、ほのぼのとした曲なのですが宇津井健さんの隠れたお宝ソングという意味でのチョイスです。

実際の宇津井健さんは、とても真面目で、それでいてユーモアも分かっていて物凄く素敵で良い方だったと皆から慕われていますね。

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山口百恵は、1959年1月17日生まれ
1973年、15歳の時に「としごろ」で、デビューしました。

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♪~陽に焼けた、あなたの胸に 目を閉じて、もたれてみたい~♪

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他にも隠れた名曲があります。

土曜日の16:00~16:30にニッポン放送で、
山口百恵の「モモモモ30分」という番組(1975年4月~1975年10月)

この曲「夢の恋人」はそのテーマソングでした。

この曲は無性に好きで、でも、なかなか最後まで聴けなくて、もやもやしていたのを覚えています。

夢の中だけで逢える恋人・・・それは理想の人なのでしょう。

テーマ:
夢の恋人~山口百恵~

作詞:千家和也 作曲:都倉俊一

(一番の歌詞はこうなっています)

羽のような綺麗な指で私を招いてる
夢の中で逢えるあのひと
誰かに似ているけれど
風のような優しい声で私を呼んでいる
朝になると消えるあのひと私の恋人よ
名前を聞かせて欲しい
せめて頭文字を
もしかしたらこれが恋の
前ぶれなのでしょう

そして後に、まさしく王子様のような旦那さま、三浦友和さんを見つけることによって終わりを迎えたのですね。

続きの歌詞はコチラ(動画も有ります)
↓↓↓
http://www.uta-net.com/song/67223/

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彼女は、引退後全くカメラの前に姿を現さず、その存在自体が伝説化されている。劇的な引退と三浦友和との結婚について、彼女は、この時の決意を、自伝「蒼い時」に、「私は愛する人がもっとも安らぎを感じる場所になりたかった」と書いている。

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彼女の危うい性から女への自立。そして、暖かく穏やかな家庭への回帰。わずか8年で自分の生き方を確立した彼女は本当に素敵、素敵過ぎる、潔い、素晴らしいと思う。

そのことの共感からだろうか、今も人気は衰えず、毎年のようにベスト盤がリリースされ、これらの名曲がリクエストされ歌われている。

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私も、ちょっと、ご機嫌な時などは、「いい日旅立ち」を口ずさんでいます。

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2017.12.02nice ! (2)コメント(0) | 共通テーマ : 芸能
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