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ももぶろ | まゆみの山口百恵ファンブログ!

山口百恵のヒット曲「いい日旅立ち」の歌詞

本名:三浦百恵(旧姓・山口)
1959(昭和34)年1月17日生まれ

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1973年5月にアイドルとして、山口百恵は歌手デビューした。
デビュー曲は「としごろ」

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デビュー曲のレコード売り上げ枚数を
良きライバルである桜田淳子、森昌子と比較してみると

桜田淳子 「天使も夢見る」(48年2月)・・・・15万枚 
森昌子 「せんせい」(47年7月)・・・・60万枚
山口百恵の「としごろ」・・・・わずか8万枚であった。

当時、森の60万枚は驚異的であったと記憶している。

それと比較すると、山口百恵のデビューは決して華々しいものではなかったようにも思う。
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山口百恵のヒットは、著名な作詞家たちの力も大


山口百恵がカリスマシンガーとして成長したのは、
著名な作詞家、作曲家の楽曲の提供があったからだと思うのである。

山口百恵というシンガーは、歌詞を、凄く大事に丁寧に唄うというイメージが濃い。
歌詞の持つ歌の世界を十分に理解しているからこその熱唱だったと思うのだ。

山口百恵のヒット曲の歌詞の素晴らしさ


1974年、75年の山口百恵ブーム

74年は山口百恵ブームの始まりでもあると言えると思う。

この年の10月からスターとしたTVドラマ『赤いシリーズ』に主役として出演。
以降77年まで全5作、女優、山口百恵としての活躍が続き、30%近い高視聴率を
維持したのだから、本当に凄いとしか言いようもないほどである。

そして74年には第25回NHK紅白歌合戦に初出場し、
79年まで連続5回出場。

78年の紅白では史上最年少の「トり」を務めた。

歌手にとっては最高の名誉であるトリ、山口百恵本人も万感の思いだったであろう。

彼女は歌詞を深く理解し、丁寧に歌詞を聴かせ、そして歌詞を歌い上げる事で、
よりファンを魅了させた。

そして、テレビだけではなく、映画にも出演した74年は百恵にとっては、
決して忘れることのできない年に違いない。

というのも、映画「伊豆の踊り子」で今のご主人である三浦友和と
初共演した年なのだから。二人の共演は「天使を誘惑」(79年)まで続いた。

それに、山口百恵、三浦友和のコンビはCMでも熱々ぶりをお茶の間に見せつけてくれていた。
中でもグリコ、アーモンドチョコレートがとっても印象的で今でも鮮明に覚えているのだから、
やはり凄い。
 
 もちろん歌手としての人気もうなぎ上り。

歌の方では阿木、宇崎夫妻による作詞、作曲「横須賀ストーリー」(76年6月)が
70万枚の大ヒット。

山口百恵/横須賀ストーリー

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価格:2,160円(税込、送料別)


この曲の歌い出しの歌詞の「これっきり これっきり もうこれっきりですか~♪」は
物凄いインパクトのある歌詞であり、国民の皆、誰もが口ずさむほどの流行歌でした。

女優としても大きく成長し、アイドル歌手から大人の女性歌手へと変貌していく様子が、
この頃に強く感じた記憶があるのです。

作曲家、宇崎竜童、作詞家、阿木曜子。

この夫妻のコンビにより、今までにない山口百恵の魅力が引き出されたと思うのです。

この曲の歌詞は、当時かなりセンセーショナルだったのです。

以降、この二人の歌を唄いながら百恵はスーパースターへと押し上げられていったのです。

77年~78年、クールなツッパリから国民的歌手へ

 阿木曜子、宇崎竜童コンビの作詞、作曲のヒットが続く中、
77年10月には、さだまさし作詞、作曲による「秋桜(コスモス)」を発表。

嫁ぐ娘心とそれを思う母心を、実にしんみりとしっとりと唄いあげたこの曲。
当時、結婚式ソングとしても最適だったのだ。

実際、私も友達の結婚式では何度も聴いたり、唄ったりした曲である。

その後、78年11月には
今でも唄い次がれている谷村新司の作詞、作曲による「いい日旅立ち」を発表。

この歌は日本国有鉄道(今のJR)のキャンペーン・ソングとして唄われ、
この曲で、山口百恵は国民的歌手としての地位を築いたと言っても過言ではない。

何を隠そう、私は個人的に、この歌が一番好きです。歌詞が最高。

『いい日旅立ち』歌詞が最高
『いい日旅立ち』メロディーも最高。
『いい日旅立ち』声、歌唱力も最高。

山口百恵のミステリアスな雰囲気の容姿(顔、スタイル)が人気なのはもちろん、
彼女の声はとっても魅力的だし、歌唱力も抜群だった。歌詞が鮮明に聴こえた。

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【いい日旅立ち】の歌詞


雪解け間近の 北の空に向かい
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき・・・・・

※続きの歌詞はコチラ(動画も有ります)
↓↓↓
http://www.uta-net.com/song/443/

サビが最高デスよね~♪
✩~~~~~~~~
ああ 日本のどこかに
私を待ってる人がいる
~~~~~~~~~✩

この記事もご覧ください
山口百恵の息子、次男は俳優の道へ

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今も懐かしい「いい日旅立ち」


これは、私事だが、
私が中学生の時のヒット曲で、中学校の合唱コンクールの課題曲として、
この『いい日旅立ち』を練習した想い出が、とても懐かしい。

今もカラオケに行った際には、数人でハモって歌えるから、楽しくてたまらない。

私は、当時ピアノを習っていたので、伴奏もできた。

今はもう、ほとんど弾かなくなってしまっているピアノも
この『いい日旅立ち』だけは、譜面無しでも弾ける。

暗譜しているからだが、それほど思い出深い、大切な曲なのです。

歌い継がれる名曲「いい日旅立ち」


「いい日旅立ちの」大ヒットから30年以上たった今も、決して忘れない。

名曲は永遠に歌い継がれ、色褪せる事はないのです。

衝撃的な日となった1979年の10月20日
山口百恵が、大阪厚生年金ホールでのリサイタル中に三浦友和との「恋人宣言」を発表。

翌年、3月三浦友和との婚約発表。
1980年引退、
10月5日、日本武道館のファイナル・コンサートで
「わたしのわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります。」と挨拶をした後、
「さようならの向こう側」(80年8月)を最後に唄い終えた彼女は、
白いマイクをステージにそっと置き、私たちの前から去っていった。

そして、その後、二度とステージに戻ることはなかった。

山口百恵、いい日旅立ち


そして11月19日結婚引退。
山口百恵、21歳。

幸せそうな二人の姿は、ずっと目に焼き付いていて、今も尚、とっても鮮明に覚えています。

人気絶頂のカリスマスターの結婚、世紀の結婚式。
これほどセンセーショナルな女性は、山口百恵以外いない。

決して、現れないだろう。

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2014.04.10nice ! (0)コメント(0)トラックバック(0) | 共通テーマ : 音楽
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