山口百恵「謝肉祭」とは?
山口百恵の知っておきたい名曲の一つ「 謝肉祭」
「謝肉祭」(しゃにくさい)は、1980年3月にリリースされた山口百恵の29枚目
のシングルです。
謝肉祭リリース前の3月7日には三浦友和との婚約が正式に発表され、引退が明らかにされていた。
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1980年3月21日発売 34年も経つのです。
この月の7日に婚約、引退発表がありました。
この歌『謝肉祭』を唄う山口百恵の美しいこと、本当に眩しいくらい。
また、この曲『謝肉祭』の振り付けも素晴らしく、ビジョアルも最高でした。
特にファイナルコンサートでの歌唱は素晴らしいものでした。まさに歌い上げている気迫を感じます。
振りも曲とバッチリ合っていて大好きです。
山口百恵は名曲が多いので迷いますが、「大好きな曲」というと『謝肉祭』はすぐに浮かびます。(甲乙つけがたいのは『曼珠沙華』
情熱的だけど退廃的で、艶かしくかっこよく美しく…『謝肉祭』は、山口百恵に似合いすぎる素晴らしい曲だと思います。
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山口百恵、不運が重なった謝肉祭
私は、山口百恵の曲では「謝肉祭」が一番の名曲ではないかと思ったりします
一般には、彼女の曲は「いい日旅立ち」「秋桜」のような抒情的なものと、ちょっと開き直った「プレイバック・パート2」のようなものが代表曲と言われています。
この「謝肉祭」を聴いた瞬間に驚きました。西郷輝彦の「星のフラメンコ」を思わせるイントロで始まり、阿木燿子さんの「大人の女性」の詩に、宇崎竜童さんがメロディーをつけ、素晴らしい曲となっていて、とても感動しました。
この曲は、山口百恵のレパートリーでは珍しい「大人の女性」を歌い上げたもので、オリコンも4位まで上がったのですが、私のように「絶対これが一番」というフアンもおられたのでしょうが、何故か残念な事に名曲として取り上げられた事はないですね。
この曲は、1980年3月にリリースされたのですが、運が悪いことに前年に発売されたジュディ・オング「魅せられて」(これも歌詞は阿木燿子さん)が似たようなメロディーラインで大ヒットし、年末のレコード大賞まで取ってしまい、この「謝肉祭」は、日本中が「魅せられて」一色という中で誕生したため、埋没した形になってしまったのでした。
また、この曲のフレーズの「ジプシー」という表現が差別用語として、90年代後半から、10年ほど彼女のアルバムにも収録されないという不運も重なりました。
ただ、「謝肉祭」には、先にも後にもない「大人の女性」を描いた名作には全く変わりはありません。
この妖艶とも言えるイメージで歌いあげる「謝肉祭」は山口百恵・最高の傑作です
「愛して 愛して 祭が終わるわ、愛して 愛して 夜も終わるわ~♪
人よりたくさん 浮名を流し 人よりたくさん 血を流す~」
ぞっとするような台詞を平然と歌いこなし、それがサマになる百恵さんは、やはり「昭和の歌姫」と言うほかないでしょう。
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山口百恵の唄ったこの謝肉祭の歌詞が凄い!
作曲:宇崎竜童
作詞:阿木燿子
愛して 愛して 祭りが始まる
愛して 愛して 夜が始まる・・・・(フラメンコのような振りから入り、超セクシーな歌詞)
のけぞる背中に 喝采の渦
男の視線が 突きささる
あなたの放った 真赤なバラは
今夜の気持と 受け取って
炎の中 くべた叫び 天を焦がすわ・・・・・(のけぞる百恵さんに、ゾクっとさせられます)
愛して 愛して 祭りは短い
愛して 愛して 夜も短い・・・・・
歌詞の続きはコチラ(動画も有ります)
↓↓↓
http://www.uta-net.com/song/2477/
実は私、カラオケでよく歌います♪
コチラ、聴いてください(^^♪
↓↓↓
カラオケで山口百恵の【謝肉祭】熱唱しました♪
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山口百恵の芸能界デビューのきかっけ
1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝。
20社から指名を受ける。
オーデションを受けるきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て自分も森昌子さんのようになりたいと思ったんだとか。
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1973年4月、山口百恵は映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。
森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。
山口百恵のデビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。
これは「青い性路線」と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。
年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で山口百恵は絶大な人気を獲得することになる。
歌詞の内容は際どかったが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、山口百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。
歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、山口百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。
これは山口百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。
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「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューではたいてい「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されたが、山口百恵は全て「まごころ」で通した。
『謝肉祭』で結婚を言い訳にせずセールスを回復させた山口百恵
謝肉祭』は山口百恵にとって29枚目のシングルリリースである。
リリースに先立ち記者会見を開いた山口百恵は、三浦友和との結婚とともに芸能生活からの引退を発表した
となると心配されるのは『謝肉祭』のセールスだが、『ザ・ベストテン』では久しぶりに1位に到達し、結婚したことを理由にしない底力を見せてくれた。
あるとき、山口百恵に尋ねた/『一億人の喝采を浴びて歌うのと、たったひとりの喝采を浴びるのと、どちらが気持ちよく歌える?』/彼女は躊躇なく答えた。/『もちろん、ひとりの人のためです』」(『神話を築いたスターの素顔』)より
この歌、謝肉祭のリリースに先立つこと2週間前の3月7日。
山口百恵は大きな決断を記者会見で発表する。彼女の右隣には、事務所の社長ではなく三浦友和が座っていた。
すでに交際宣言をしていたから、交際相手が同席ということでその内容はおおかた見当が付いた。
ただ、彼女の宣言は、たんなる結婚宣言ではなかった。
山口百恵はいつものように凛としてこう述べた。
「我が儘な生き方を私は選びました。(正式には)11月19日、挙式以降(で、実質的には)それ以前の日にちとしては10月15日ということで、お仕事は全面的に引退させて頂きます」
結婚しても歌は続けられるはずだが、山口百恵は完全に引退、芸能界から足を洗うというのだ。
「しばらくの間、心の体制を立て直すのに時間が必要なほどだった。現代っ子といわれるこの年格好の娘が、地位、名誉、収入を捨てて家庭に入る、という決意に舌を巻いた。/瞬間、『これはホリプロの敗北だ』と感じた。我々のマネージメントが、友和、そして家庭の魅力に勝てなかったのだ」と述懐している(『いつだって青春』)より
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29枚目のシングルである『謝肉祭』は、『しなやかに歌って』『愛染橋』など、山口百恵の交際宣言以来、不振だったセールスを挽回することがスタッフのテーマだったようです。
「交際宣言」からさらに進んで「結婚宣言」までされた中での取り組みだったが、『愛染橋』では10位まで落ちていたオリコン順位を4位まで戻し、『ザ・ベストテン』では久しぶりに1位に到達できた。
山口百恵の謝肉祭はセクシーの極み
謝肉祭はフィンガーアクションも加わった、パンチのある歌いっぷりだった。
「♪愛して愛して祭りが始まる~」、「♪愛して愛して夜が始まる~」のところ。
山口百恵の一度目と二度目の「♪愛して愛して」の歌い分けが上手い、最高。
「♪炎の中くべ~た叫び天を焦がすわ~」での伸びやかな歌い方もいい、凄く上手い。
そして最後の「♪一人ぽっちで果てるだけ~」の決め。
この押し引きの絶妙さが山口百恵の真骨頂であると私は思うのです。
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