山口百恵が思わず涙した三浦友和との電話シーン
山口百恵ちゃんが三浦友和からの電話で・・・
百恵ちゃんが友和に恋している心情がポロっと涙で表れています。
おんな、な部分。
歌の賞とり本番の前後で、百恵自身が緊張している時、歌の合間に
三浦友和から電話が入った。
三浦友和から山口百恵への電話
友和は、その日は仕事で海外からの電話であった。
百恵にとってはサプライズだったのだろう。表情から物凄く伝わってくる。
山口百恵は公の場で冷静を保とうとしているにも関わらず、感情が涙として出ている。
二人だけの時にしか表さない表情、心情を見た思いがした。
女の恋心が秘められていて、まさしくこれは、女が本気で想っているときの表情。美しい。
胸のウチを察してみると、切ない思い、ちょうどピークにきている表情ですね。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
スポンサーリンク
三浦友和からのサプライズ電話に涙した山口百恵
女の一生でこういう表情になる時期はそう幾度とあるものではない。
何度みても、美しい。恋する女の表情。おんな、な百恵さん。
山口百恵と三浦友和との電話シーンを観て
youtubeで、ある音楽番組で賞をもらった山口百恵が三浦友和と電話で会話するという動画を見ました!
という若者が質問していました。
『こんな行為、当時は許されてたんですか?』
『あの頃ネットが普及してたら相当叩かれてますか? 』
コチラの動画ですね↓↓↓
今は音楽賞の番組は非常に地味になったという印象ですが、
当時はテレビ各局が主催していたほど華やかでした。
それに受賞すると関係者だけでなく、家族が祝福のために登場することも珍しくありませんでした。
同様に友人・共演者が電話で本人にメッセージを送るということも行われていました。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
スポンサーリンク
ゴールデンコンビの山口百恵と三浦友和
山口百恵・三浦友和はゴールデンコンビとして共演が多かったので、普通のことだったと思います。
決して交際相手だから、ということでは無かったのです。
それに二人はこの上ないお似合いのカップルで、多くのファンが実際にもお付き合い・結婚を望んでいたので、
婚約・結婚が公になったときは、祝福はあっても非難はほとんどなかったと記憶しています。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
プライベートで2人がいる写真を週刊誌に載ったことが百恵さんの「交際宣言」に繋がったと思うのですが、
それも自分の口からファンに直接伝えたいということで、コンサートのステージ上で行われました。
その姿勢も支持を受けたものです。
山口百恵の結婚→引退を惜しむ声は多かったですが、
その過程は好意的に受け入れられていました。
「夢先案内人」、「イミテーションゴールド」、「秋桜」など大ヒットを飛ばし、
「秋桜」でこの年、念願の歌唱賞を受賞しました。
山口百恵の『秋桜』をカラオケで♪
コチラ↓↓↓
私が唄っています(^^♪ 親友の結婚式で歌った想い出の曲です♪
後に結婚する友和から電話を受け、百恵ちゃんが感激のあまり泣いてしまった!
のは有名なシーンです。
1978年もその勢いはとどまることを知らず、「乙女座宮」、「プレイバックPart2」、「絶体絶命」、「いい日旅立ち」など大ヒットを連発。「プレイバック~」で日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。
この年から、金賞を10曲事前に決定し、その中から大賞と最優秀歌唱賞を選ぶ方式に変更。
歌唱力の低い歌手にも大賞が与えられるようになった。
もちろん山口百恵も「プレイバック~」で金賞を受賞。
大賞レースはピンクレディーの「UFO」と初の2年連続受賞を目指す沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)」と山口百恵の三つ巴となった。
結局、大賞はピンクレディー、最優秀歌唱賞は沢田研二に決定し、山口百恵は特別三賞(レコード大賞、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞)を受賞できなかった。
山口百恵にとって非常に悔しい結果ではあったが、この年の紅白で紅組のトリを務めた。(白組は沢田研二がトリ)
10代でトリを務めたのは、山口百恵が初めて! 今もいないのです。
次の年も、「美・サイレント」や「愛の嵐」、「しなやかに歌って」が大ヒット。
曲ごとにかわる雰囲気に皆が魅了されたのを覚えています。
「しなやかに歌って」のヒット中に、三浦友和との交際が発覚、「恋人宣言」
「しなやかに歌って」は金賞を受賞。
次の年、1980年に三浦友和との結婚を機に引退を表明。10月に引退。
その後、特別大衆賞が三浦百恵に与えられた。
三浦友和との結婚でキッパリと芸能界から身を引いた山口百恵。
そして今では「主婦」として2人の息子の「母」として家庭におさまっている。
(たまに週刊誌に「今」の百恵さんがパパラッチされていますが。)
ある若い女性が、会社の上司に「百恵ちゃんの人気ってそんなに凄かったんですか?」と質問したら、
「凄かったね。何より<引き際>が素晴らしかったよ。人気絶頂の時だったしね。潔かった」と聞いたそうだ。
その若い女性が言う。
スーパースターであれ、一般人であれ、女性には結婚やら出産やらで人生の進むべき「道」を選択しなくてはならない時があって、いざその時、キッパリと決断するまでの山口百恵が、「単なる一女性」として、どういう考えでいたかを知りたくなった・・・と。
『蒼い時』 (集英社文庫)をおススメしました。
山口百恵の「女」としての部分が色濃く出ている自伝。
そして一方、夫である俳優・三浦友和の「怒り」が溢れた 『被写体』 (マガジンハウス文庫)も併せて!
常にカメラに追いまわされ、時に危険な目にもあってしまう三浦一家・・・・。
昭和のスーパースターを妻にすることの大変さ・・・が書かれている。
それほどやはり「山口百恵」という「スパースター」は伝説となって神話となる存在なのである。
文庫の帯の「史上最大の寿退社!!」の文字に妙に感心してしまった。
山口百恵の歌声は、渋くて、色気があって、とても20歳くらいに唄っていたとは思えないほど大人っぽくて、
胸に深い響きジンときますね。
you tube で百恵ちゃんの動画を観まくっています。
唄っている姿も勿論、すごく素敵なのですが、
山口百恵ちゃんが三浦友和さんからの電話に思わずホロリと涙を流していまうシーン。
とにかくこの夫婦に「純愛」を感じ取ってしまいます。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
友和さんが「(百恵ちゃんが芸能界に復帰しないのは)家庭が居心地がいいからでしょうね」って
インタビューで答えているのも観たし。
「こうありたい」と漠然とだけど思える夫婦がこの三浦夫妻なのかもしれません。
・・・・山口百恵の 『蒼い時』 の或る一文から。
「私は今、心身共に健康である。
愛する人に丸ごとぶつかっていける心と体をそなえた幸福な女である。
これから私は子を宿し、出産し、やがて年老いてゆくのだろう。
今はまだ見えてはいない女の歴史が、何年も続いていくのだ。
平和であることを願いたい。
せめて、皆、健康で、そして和やかに生きられるように努力したい。」
・・・・泣けた・・・。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
スポンサーリンク
✩運命的✩と言われるふたり。
「運命的」なんて、仕組めはしないけれど、どんな事や出逢いだって、「運命的」にふさわしい事にする事ができる。
そう、するもしないも自分達次第。
互いに身を慎み、自分自身やお互いに努力、相手を尊重、尊敬されるような行動を継続し続けないと
運命的だとは言われない。
毎日のように仕事で顔を合わせていても、電話交際していても、初めての「二人きりのデート」は、
次のハワイで、4~5ヶ月後だったそうです。
お互いモテモテの人気アイドルや俳優で、他の誘惑も物凄かっただろうし、モテモテであったと推測もできるわけだけれど、そんな生活を慎む事なんて、今のひとはなかなか出来ないでしょうね
ある時から三浦友和は夜遊びの付き合いが悪くなって、すぐにホテルの自室に引き上げる事が重なり「変」と噂されたりしたそうだけど。
言うまでもないのだが、それほどに山口百恵が圧倒する魅力全開だったのです。
三浦友和は逢えない彼女、山口百恵からの電話を待っていた。
あの時代は携帯電話もなく受話器の傍にいないと声が聴けない時代。
山口百恵は、明け方までの仕事も多かったのだし・・・
二人はゴールデンカップルとしか言いようもない。
巡り合うべくして、巡り合ったお二人なのでしょう。純愛カップル。皆に心から祝福を受けて。
コンサートでの交際宣言、結婚会見、披露宴。そして引退。
全ての国民が、二人の祝福をしました。
必ず二人は幸せになる。夫婦となって、その先もずっと幸せでい続ける。そう誰もが確信していました。
これぞ、伝説の歌姫、スーパースターの証なのでしょうね。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵と三浦友和の馴れ初め
スポンサーリンク