SSブログ

山口百恵の絶体絶命をカラオケで

山口百恵の絶体絶命をカラオケで

山口百恵の絶体絶命をカラオケで



山口百恵『絶体絶命♪』の出だしはこうだ!

「別れて欲しいの彼と」
「そんなことは出来ないわ」
「愛しているのよ彼を」
「それは私も同じこと」 

私、山口百恵の『絶体絶命』カラオケでよく歌うんです♪
これが、結構、ウケるんですよ♪

12771.jpg

なんちゅう凄い!凄すぎる歌なんでしょう!

こちらの記事もおススメです!
山口百恵の複雑な生い立ち

スポンサーリンク







ご存知、山口百恵の『絶体絶命』

山口百恵の『絶体絶命』をカラオケで歌いました♪
コチラ↓↓↓聴いてくださいネ♪

※歌詞付きです♪
映像は山口百恵さよならコンサートのものです。 私が唄っています♪

山口百恵が神、いえ、菩薩だという話は、私が今更ここで話す話でもなんでもありません。

けれど、私は、今また、今頃今更、なぜか、山口百恵ブームなのです。

山口百恵の佇まい、歌い方、あの感じ。

時を経ても、もの凄く興味深い。

それに、私が、もっと興味を持っているのは、

そんな山口百恵の“作家”、彼女を“作った”と言っても過言ではないであろうあの2人。

1.jpg

宇崎竜童と阿木燿子。

20130922-01.jpg

gnj0912180507005-p1.jpg

特に、女のわたし、阿木燿子に興味津々。

こちらの記事もおススメです!
山口百恵の複雑な生い立ち

スポンサーリンク





宇崎竜童と阿木燿子、この夫婦は2人で山口百恵を“作り”ました。

ind_p_01.jpg

山口百恵は「女」だ。
7.jpg momoe.jpg

しかも、あんな女だ、あんなに女、あんなにも女。

img0261.jpg

今頃、今更ですが、
あまりにも有名なあの感動のファイナルコンサート。

final3.jpg

武道館にあの白いマイクを置いて引退したとき、彼女は21歳だった。

img_8 (2).jpg

21歳?!

コチラの記事もおススメです!
山口百恵の妹の淑恵さんは今?

あれらの色っぽい曲、スカした曲、スレた曲、
どうしようもなく、めためた、ばりばり「女」な曲たち…
ときに17~21歳で、女の気持ち、女のカラダな曲たちを、
17~21歳の若さで、あんなに歌いこなし、成りきっていた訳だ。

momoe_yokosuka_years1.jpg

それを作ったのは、あの夫婦。

yoko3.jpg

でも特に、同じ「女」である、阿木燿子だ。

と、考えたとき、
阿木燿子の凄さ凄まじさ…「女!」さにゾクリ、今頃、今更でも、ゾクゾクして止まないのです。

あんなに「女!」、あの歳で!
なのに、異様なほどに匂いたつようなほどに「女!」な山口百恵。

157544369.jpg

156467110.jpg

曲…の中でも骨になる「ことば」…「おはなし(物語り)」を書く阿木燿子。

「こんな女のおはなし」「あんな女のおはなし」、どう?これはどう?じゃあ、これは?

でも自分よりも13歳も若い、13歳も年下の山口百恵は全部クリアする、というか、化ける。

momoe0058.jpg

歌いこなし、その「女」になりきり、いや、なりきるだけじゃなくて、
そのおはなしの中の「女」を自分の中にとりこみ、
もっと、もっともっと「女」になっていく。神になっていく、そして、菩薩になった。

自分の書いた言葉、作ったお話に、音…メロディを乗せるのは、ダンナの宇崎竜童。

Somebody2Love_Uzaki1.jpg

自分が作ったおはなし、言葉に、ダンナがこれ以上はありえないほど、ピッタリなロックな音をつける。

dias01_uzakiryudo-1.jpg

それを山口百恵は己の中に取り込んでく。
食って、そして化けて、売れていき、熟れていく。そして「女」になって、神になって、菩薩になった。

bhiraoka3.jpg

こんなにゾクゾクするコラボ仕事はないでしょうね。

作詞家、作曲家として、こんなに刺激的な日々はなかったでしょうね。

1228284462_1.jpg

最強トリオ、プロとしてこんなに面白い仕事はなかったでしょうし、だから、あんなにノリノリの年月を過ごしたのでしょうね。

それが客席にも伝わり、だから、あんな、爆発的ヒットを何連発も、ぶっ飛ばしていたのでしょうね。

p01_01_01.jpg

けど、ヨーコ、
あんなに「女!」、どろっどろの!ばりっばりの「女」のおはなしを描く阿木燿子、
しかも、30歳前後のヨーコ、そのホントの心中、“素”の心中って、実際どうだったのかしら?なんて、ふと。

ふと、ふと思った。

きっと、きっと、すごく「嫉妬」してたんじゃないかと思うの。

やばい!竜童をとられる!…とかそういうものではなく、

仲良し夫婦だけれども、
もはや、どこか、“ロックンロールウィドウ”なヨーコには、そんなことは小さなことで(想像でしかありませんが…)、

img_4.jpg

山口百恵っていうヒトを、

もしかして、いちばん愛して、でも、いっちばん憎んで大嫌いで、

意識して意識して、しょうがなかったのは、彼女なんじゃないかしら?

o0800121012776465036.jpg

山口百恵『絶体絶命』の2番の歌詞♪

「別れて欲しいの彼と」
「そんなことは出来ないわ」
「愛しているのよ彼を」
「それは私も同じこと」

…「やってられないわ!」

そして、「その人の涙の深さに負けたの」。

泣かないけど、泣かない女、さらには泣かない女同士だったけれども、サ。

でもきっと…だから、あんなに、鬼気迫るような、
女!女!女!な、おはなし・ことば・曲たちが出来て
すべては伝説、神話、菩薩となった…のでしょう。

なぁーんて、今頃今更、山口百恵の曲の数々を聴くと、思わされて仕方ないのです。

コチラの記事もおススメです!
山口百恵の妹の淑恵さんは今?

三人模様の絶体絶命。人間模様の絶体絶命。

yokosuka_family.jpg

さあさあ、さあさあ、はっきりカタをつけてよ、すっかりカタはついたわ、bye bye bye bye。

私、この『絶体絶命』が凄く好きです。

0 (5).jpg

…女。

女って!

…「やってられないわ!」

山口百恵の絶体絶命をカラオケで歌ってみたい



絶対絶命以外の他の曲でも、カラオケで「プレイバック Part 2」を歌ったことがある人、あるいは、他人が歌っているのを聴いたことがある人はよく分かると思うが、あの歌で一番難しいのは“馬鹿にしないでよ”である。素人だとこれが絶対にキマらない。

playback1.jpg

音符をなぞるだけではダメだし、かと言って、ただ力任せに怒鳴ればいいというわけでもない。

o0517039312342821772.jpg

私もかつて、このフレーズ“馬鹿にしないでよ”を1日中練習したことがあったが、どうしても山口百恵のようにカッコよく言うことはできなかった。
 
素人だからキマらないのかというと、これは基本的にプロが歌っても同じである。

私は実際にプロの歌手による「プレイバック Part 2」のカヴァーをいくつか聴いたことがあるが、
どの歌手も、このセリフは決まらない。

誰一人としてきちんと“馬鹿にしないでよ”とカッコよく言えていない。

山口百恵は、なぜあれほどいとも簡単に“馬鹿にしないでよ”と正しく言うことができるのか。

img_29.jpg

コチラの記事もおススメです!
山口百恵の妹の淑恵さんは今?

山口百恵の絶体絶命をカラオケで歌う難しさ



 山口百恵の「絶体絶命」の“やってられないわ”も同様にカラオケで難しい。

yhit-78-10-16.jpg

山口百恵はいかにも“やってられないわ”という感じであっさり吐き捨てるように歌うのだが、常人の歌唱ではこの“やってられない感”がまず出ない。

yhit-78-8-21.jpg

「横須賀ストーリー」の“これっきりですか”も奥が深い。

img.jpg

百恵は絶妙のタイム感であのフレーズを歌う。これも常人の歌唱では、必死に問いかける“これっきりですか感”が出ない。百恵はメロディを追うのではなく、本当に喋るように自然に“これっきりですか”と歌う。

 宇崎竜童は、かつて山口百恵の正確無比な歌唱を“コンピューターのようだ”と評した。

この歌うコンピューターは、一体どのように作品を解析し、あのような的確極まりない歌唱表現を実現していたのだろう? その精密機械の内側を覗いた者は、いない。

山口百恵さんの「絶体絶命」って、三角関係の歌?



少なくとも2人の女性と交際していた男の修羅場を気の強い女性の立場から歌ったもの。

歌詞から考えると、おとなしそうな女性の方は婚約者もしくはそれに近い存在(薬指の指輪)で、「やってられないわ」という女性の方は遊ばれていたと気づいたようにも受け取れる。

もし、彼がもう一方の女性を選ぶと自分が惨めになるので、虚勢を張って自分から身を引くことにしたんだと思う

歌謡曲とロックという音楽的な隔たりもさることながら、山口百恵と阿木燿子、宇崎竜童の間にある13歳という年齢差が、また絶妙だ。

友人や兄姉妹にしては差がありすぎ、かと言って、親子ほどに離れているわけでもない。

両者はそのいずれの関係性も有しつつ、かつ、どの関係にも決して収束することがない不思議な距離感で繋がっていた。

 山口百恵にとって2人は理想の夫婦であり、時に、自分に欠けていた幸福な家族関係を疑似体験させてくれる父母のような存在だったかもしれない。

コチラの記事もおススメです!
山口百恵の妹の淑恵さんは今?

一方、山口百恵と宇崎竜童は恋愛関係に陥る危険性をどこかで孕み、そうなれば、阿木燿子と山口百恵は女として敵対関係にもなり得る。

Somebody2Love_Uzaki2.jpg

また、アーティストとしては、紛れもなく共犯関係にありながら、型破りな作品を用意する阿木燿子+宇崎竜童のライティング・チームと、常に予想を超える歌唱でそのハードルをクリアしてみせる山口百恵との間に、互いに一歩も引き下がらないバトルめいた火花が散ってもいた。

(阿木燿子と宇崎竜童のおしどり夫婦間でも、山口百恵作品に限っては喧嘩のような闘争が絶えなかったという)。

Somebody2Love_Uzaki4.jpg

 実際のところ、山口百恵と阿木燿子+宇崎竜童が顔を合わせるのはほとんど仕事場のみで、プライベートでの付き合いはなかったというが、この三者は作品制作を通して、ある意味、どんな人間関係よりも密接に、かつ、高い緊張感で結ばれていた。

「ふつうだったら曲書いてんだからさ、『お茶ぐらいいいじゃない』とかっていう気持ちがあるでしょ。でも、つき合ったことないんですよ。そういうふうに一度も。それにやっぱりある程度の距離感をもっていくことによって、コンチキショーというのがあンのね、こっちは。次の曲に関してコンチキショーめって。向こう(山口百恵)もたぶんコンチキショーめって投げてくるんじゃないかと思うんだな」(宇崎竜童インタヴュー/'79年4月21日収録/平岡正明・著『山口百恵は菩薩である』/1979)

山口百恵がインタビューで、こう答えている。
「“横須賀ストーリー”で出逢ってからの五年間を思いおこしてみると、仕事の場以外での阿木燿子さんを、まったくと言っていいほど知らない。

 女と女が、密接につき合ってゆくことの方が容易なはずなのに、私と阿木さんが触れあえるのは、“詩”という言葉の空間だけだった」(『プレイバック PART III』)

momoe_vs_aki.jpg

 誰一人として余裕がない、真剣を交えるようなトライアングルの中で、最もスリリングなのは、やはり阿木燿子+山口百恵の女同士の関係である。

 阿木燿子は山口百恵と同年齢の少女の目線へそっと降りていく一方、ある時は、山口百恵に実際より3~4歳上の女の心情を歌わせ、ある時は30過ぎ(つまり、自分の年齢)の女の複雑な心理を平然と投げつける。

山口百恵は阿木燿子が詞に描く様々な女模様を次々と咀嚼しながら、もの凄い加速度で女として成長していく。

それは母が娘を教育するようでもあるし、先生と生徒との、一対一の厳しい女塾のようでもある。

阿木燿子は山口百恵の成長が嬉しい一方、何でもかんでもバリバリ食べて女として急速に熟れていく若い山口百恵に、そのうち宇崎竜童を取られるのではないか、という危惧を常にどこかで抱えていたように思う。

061116_02.jpg

061116_prof.jpg

そうした阿木燿子のジレンマや殺気が、山口百恵作品の緊張感を異様なレベルにまで高めていたのではないだろうか。

 また、山口百恵は山口百恵で、阿木燿子の言葉を食べながら成長する一方、まるで自分が阿木燿子の分身と化しつつあるような錯覚に苛まれ、どこかで自分に焦りや苛立ちを覚えはしなかったか。

阿木燿子の庭は確かに居心地が良いが、いつまでもそこに留まることはできない。

山口百恵には自分の言葉が必要となり、実際、“横須賀恵”という名義で少しずつ作詞を始めるが、言葉で阿木燿子に太刀打ちできるようになる遥か前の時点で、引退の時は訪れている。

Canalblog_JPop_Momoe_Yamaguchi_DVD_Last_Live07.jpg

gnj1001150507010-p3.jpg

 この2人に較べれば、宇崎竜童はまだ幾分呑気でいられた気がする。

momoe+uzaki1.jpg

嫁の不可解な苛立ちの巻き添えを喰うことはあっても、いい女2人から慕われていた彼は、単純に男として幸せ者だと言えるのではないかしら。

momoe_uzaki2.jpg

こうした恐るべきテンションによって生み出されていた横須賀ファミリーの作品は、'70年代後半の歌謡曲黄金時代、阿久悠が送り出す沢田研二、ピンク・レディー作品に唯一拮抗する勢力として異彩を放った。

“阿久悠帝国”とも言うべき'70年代後半の歌謡界で、彼の息がかかっていない大物は、山口百恵ただ一人と言っていい。

 「横須賀ストーリー」以降、山口百恵作品のソングライターには、さだまさし(「秋桜」)、谷村新司(「いい日旅立ち」)、堀内孝雄(「愛染橋」)などが適時起用され、中核となる阿木燿子+宇崎竜童作品とのバランスが取られていた。

それらは歌手・山口百恵の魅力を、非常に通俗的なレベルで知らしめることには一役買ったが、決して彼女の本領ではないし、また、阿木燿子+宇崎竜童作品とのような密接な関係性もない(百恵にとってそれらの作品は息抜きにも近かっただろう)。

「山口百恵」という現象を牽引していたのは、あくまで、山口百恵+阿木燿子+宇崎竜童という3人の運命共同体なのである。

コチラの記事もおススメです!
山口百恵の妹の淑恵さんは今?

 8年間を疾風の如く駆け抜け、私たちの前から姿を消した山口百恵。

momoe3.jpg

keyvisual.jpg

 彼女が阿木燿子+宇崎竜童と共に血を流すように紡ぎだした歌たちは、ひとりの少女の、あまりにも生々しく、美しい成長のドキュメントとして、少しも色褪せることなく、今でも私たちのもとに残されている。

dvd3.jpg

dvd2.jpg

dvd1.jpg

「阿木さんの詩には、宇崎さんのメロディが一番似合うと、おふたりの曲を歌うたびに感じていた。
阿木さんの詩を宇崎さんのメロディにのせて歌う時だけが、本気になれた」

 1985年11月 三浦百恵
 (阿木燿子・著『プレイバック PART III』)

THE UNTOUCHABLE MOMOE YAMAGUCHI~
『横須賀から来た女』『VITA SEXUALIS』

 “最強の山口百恵”への最短距離となる2枚のコンピレーションCD(全29曲)を紹介させて頂く。

 それはシングル集でもないし、いわゆる普通の意味でのベスト盤でもない。

momoe_in_black.jpg

アンソロジー的なレトロスペクティヴでもなければ、DJ的視点による恣意的文脈からの再評価でもない。シングル32枚、アルバム22枚分ある彼女の全作品から、純粋に頂点部分を抽出することによって生み落とされた、飽くまで“最強の山口百恵”2枚である。

 “最強の(=untouchable な)山口百恵”とは、要するに阿木燿子+宇崎竜童作品のことであり、この2枚の編集盤も当然ながらこのコンビによる作品群で占められている(全曲、阿木燿子・作詞。ごく一部、宇崎以外の作曲家による楽曲含む)。

 2枚はそれぞれ『横須賀から来た女』『VITA SEXUALIS』と題され、明確なコンセプトのもとに編纂されている。

簡単に言うと、前者が“ツッパリ系”、後者が“情念系”ということになる。

喧嘩が強い山口百恵を知りたければ前者、エロい山口百恵を知りたければ後者がお薦めだが、2つ合わせて“最強の山口百恵”なので、結局どちらも聴くべきである


 
 山口百恵作品を選び抜いていくと、自然と“ツッパリ系”“情念系”という2つの系統が浮上してくるように思う。

そこに立ち現れる山口百恵像は、まさしく最強であり、唯一無比である。

山口百恵というのは、歌謡界一喧嘩が強く、しかも同時にエロいという、全く手のつけようがない最高の女だったと私は思う。
 
 これを聴いて感動しないようなヒトは、山口百恵の歌とは一生縁がない。

 そう確信を持って断言できる、踏み絵にも似た究極の2枚。

 さあ、みなさんは、これをどう聴くか?
 
山口百恵 Momoe Yamaguchi (part 2) ~『横須賀から来た女』
山口百恵 Momoe Yamaguchi (part 3) ~『VITA SEXUALIS』

こちらの記事もおススメです!
山口百恵の複雑な生い立ち

スポンサーリンク



nice ! 0

    コメント 0
    コメントを書く

    お名前

    ウェブサイトアドレス

    コメント

    画像認証

    ※画像の文字を半角で入力してください

    ※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます

    トラックバック 0

    トラックバックの受付は締め切りました

    テキストや画像等すべての転載転用販売を固く禁じます

    この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。