山口百恵の歌った『秋桜(コスモス)』 の歌詞
『秋桜(コスモス)』は山口百恵の19枚目のシングルです
「秋桜」でいえば、歌詞の内容はひたすら母親の描写ですよね。
結婚を直前に控えた娘が母親を見つめた内容を歌にすることで娘が主人公になっています。
スポンサーリンク
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵の複雑な生い立ち
「秋桜(コスモス)」
さだまさし作詞・作曲
「花の中三トリオ」で売りだして以来の千家和也と都倉俊一・馬飼野康二・三木たかし・佐瀬寿一らのコンビから阿木耀子と宇崎竜童の横須賀ツッパリ路線にかわってから、それ以外の作家の歌をうたう初めてのケースだった。
ジャケットに掲載されている歌詞はさだまさしの自筆になっていて、さだまさしの意気込みが伝わってくるようですね。
50万枚近いセールスを記録したヒット曲ですが、それでもオリコンは第3位でした。
カラオケで歌ってみました♪ コチラ↓↓↓山口百恵『秋桜』
彼女の5度目の1位を阻んだのは、またしてもピンク・レディーである。『ウォンテッド(指名手配)』が絶好調。
さらに、森村誠一の長編推理小説を映画化した「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね」のセリフが印象的なジョー山中の『人間の証明』も人気だった。
山口百恵は、「花の中三トリオ」の中ではレコード時代の売り上げがもっとも多く、ピンク・レディー、森進一に次ぐ第3位である。これはすばらしい記録だ。
しかし、それでいて、日本レコード大賞を取ったことはなかったのです。
けれども、数字がブレることもなく、手堅いヒットをコンスタントに続いていた。
これは、山口百恵の歌自体を支持する手堅い「基礎票」にしっかり支えられていたということだと思います。
彼女に根強いファンが多数いた事に他なりません。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵の複雑な生い立ち
スポンサーリンク
山口百恵の秋桜(コスモス) 歌詞の意味
秋桜(コスモス)の歌詞の解釈としては・・・娘は最後まで自分の選択を迷っている心情。
田舎に一人残した年老いた母が心配なのであるが、結局愛した人のもとに嫁ぐ。
愛に軽重は無いのであるが、体はひとつなので泣く泣くの選択なのです。
母は娘の幸せを願っているので愛する人と結ばれるのは嬉しいのだけれど、自分の娘がなんだかとても遠い 所にいってしまうようで寂しさは隠せない。
しかしそんなお互いの感情を優しく包み込む様にコスモスが咲いているのである。
季節が巡りまたコスモスが咲いてもそれは必ず同じではない。
さて、この歌。一転してA面B面(ドーナツ盤らしい表現)共にさだまさしである。それもあって、歌詞カードは手書 き文字である。さだまさし本人もアルバムの中で歌っていますね。
山口百恵の秋桜(コスモス)の歌詞
秋桜(コスモス)
作詩/作曲 さだまさし
♪~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
薄紅の秋桜が秋の日の何気ない陽溜まりに揺れている
この頃涙もろくなった母が庭先で一つ咳をする
縁側でアルバムを開いては私の幼い日の思い出を
何度も同じ話繰り返す。独り言みたいに小さな声で・・・・・
※続きの歌詞はコチラ(動画も有ります)
↓↓↓
http://www.uta-net.com/song/1937/
♪~~~~~~~~~~~~
(サビです♪)
こんな小春日和の穏やかな日は貴方の優しさが浸みてくる
明日嫁ぐ私に苦労はしても笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1977年(昭和52年)
※「秋桜」by さだまさし
『嫁ぐ』と言う言葉も、すっかり死語になったのかも知れませんね。
そういえば、やや職権乱用かセクハラ気味に、部下の若い娘にカラオケで、この歌をリクエストで歌ってもらった時、歌詞にルビがなかったので、嫁ぐ(とつぐ)を、稼ぐ(かせぐ)と歌われました(笑)という話を聞きました。
もちろん、その上司は、気づいて、気がつかない振りをしたそうですが、小春日和のような優しさですね(笑)
笑ってしまったのですが、もの悲ししくもありますね。
山口百恵さんに捧げた曲として皆さんもよくご存知の『秋桜(コスモス)』の歌詞
秋桜(コスモス)の歌詞、さだまさしと山口百恵のエピソード
____________________________________________
『「歌詞がピンとこないでしょう?」と電話口で僕(さだまさし)はそう言った。
受話器の向こうで彼女(山口百恵)はきっぱりと「はい」と答えた。
まだ18歳の山口百恵さんに「結婚前夜の母娘」というテーマの歌詞が理解できるはずもないだろう、と思ったから。
僕は彼女はいつまでもこの業界に居る人ではない、と感じていた。
彼女は一度この場所を去ったら二度と戻ってくる人ではない、と思っていた。
だから曲作りを依頼されてた時に、あえてこのテーマを選んだのだった。
そうして言い訳をするようにこう付け加えた。
「何故僕がこんなテーマを選んだのか、あなたに解って貰える日が早く来るといいね」と。
~中略~
そして、やがてついに彼女が三浦友和さんという素晴らしい伴侶を得て引退することになりました。
僕はその最後のコンサートにお招きを頂いていたが、自分自身のライヴと重なり、伺うことは出来なかった。
その日、僕がフェスティバルホールでのコンサートを終え、ホテルに戻ると彼女からのメッセージが届いてい た。
それにはこう書いてあった。
「さださんがこの歌を作ってくださったお気持ちが、やっと解る日が参りました。
本当に、本当に、ありがとうございました。山口百恵」
僕は何度も読み返して感動に震えた。
たった一度、電話で話しただけの僕の台詞を彼女はずっと記憶していてくれたのだった。
たかだか一曲の歌謡曲を挟んで、僕は偉大な歌手とこれ程感動的なエピソードによって向かい合えたことに 感謝する。
勿論、僕に生まれてくれたこの歌にも。』
____________________________________________
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵の複雑な生い立ち
さだまさしコンサートが既に4000回を越えましたが…1000回記念のコンサートでのトークを思い出しました。
トークネタとしては、当時、流行し始めたカラオケの話で、あの頃はまだ通信カラオケではなくレーザーディスクが主流でした。
概要としては、歌詞をそのまま映像にされるのはツライという話で…たとえば「無縁坂」では歌い出しの「母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を登る度 いつも溜息をついた」という歌詞に対して、映像として小さな子どもの手を引いて坂道を登る若い母親の姿を描く…それは違うんじゃないか?という作詞者としての本音を、面白おかしく語ったトークでした。
この歌い出しの歌詞は、子育ての苦労を表現する方法としての、ひとつの比喩表現に過ぎないので…歌詞のままの光景を伝えたいわけではない…要約すれば、このような主旨だと記憶しています。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵の複雑な生い立ち
山口百恵の歌う秋桜(コスモス)の歌詞の解釈
それは、この「秋桜」についても、同じことが言えるのではないでしょうか。
別に今生の別れというわけではないにしろ、結婚するということは今まで庇護されていた親の元を離れるわけであり、その式の前日になって、そのことをようやく意識したり、初めて気付かされたりすることもあるでしょう。
例を挙げれば「縁側でひとつ咳をする」という歌詞などは、実際に咳をしている状況を伝えたいわけではなく…いつも自分を守っていてくれていた母親の老いに、今更ながら気付かされたりする…そんな式前日の心情を喩えとして表した歌詞だと思うのです。
伝えたいのは、歌詞に用いた言葉による映像描写ではなく、その情景から心に浮かぶ、娘の母親に対する想いなのではないでしょうか。
これは、歌詞とはどういうものなのか?という価値観や意識の問題なのかもしれませんが…伝えたいことを示すための『表現の手法』として、こうした比喩的表現を特にさだまさしは多用していますね。
ですから、この歌詞を通して何を伝えようとしているのかを読み取ろうとする捉え方で見れば、その言葉が含む意味合いの深さに気付かされたり、また捉える側の自分の心情次第で意味合いが変わってきたりして、さだまさしの世界を堪能できると思います。
その一方で、歌詞の言葉尻だけを捉えた見方をすれば、ただ単に芝居じみていてクサかったり暗いだけでしかなかったりするでしょうね。
繰り返しますが、これは単に『表現の手法』の問題であり、したがってその歌詞の捉え方について正しい正しくないはなく、好きか嫌いかの話でしかありません。
もともと音楽とは、その種の嗜好品でしかないですからね。
ただ歌詞の捉え方としては、いろいろあるのではないでしょうか?と思います。
家族愛を物語的に歌うことができる人は多くありませんし、その中でも、さだまさしは最強ですね。
彼の歌は、その歌詞は想う人への優しい視線を感じます。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵の複雑な生い立ち
山口百恵の秋桜(コスモス)の歌詞は母親の描写
「秋桜」でいえば、歌詞の内容はひたすら母親の描写ですよね。
結婚を直前に控えた娘が母親を見つめた内容を歌にすることで娘が主人公になっています。
人を想う、ということは、その人を見守ることなのかも知れません。
ここ数年、歌謡曲はラブソングばかりではなく、「感謝」とか「友情」とかそういたテーマの曲が増えましたが、
たいていは「私はこれだけあなたのことを想っている」という想いの度合いを伝える歌詞が多いです。
テーマは「愛」ではりませんが、内容はラブソングと同じです。
さだまさしさんって自分で歌う歌もそうですが、頭のてっぺんから声を出すような高い音域のメロディーが多いですよね・・・
曲にもよりますが、さだまさしは音域が広いです。
カラオケでは高音が出ないのでキーを下げようとすると低音域が歌えないこともあります。
「秋桜(コスモス)」山口百恵 が歌う、さだまさしの世界
山口百恵の代表曲「秋桜」の、さだまさしバージョンを観たのですが、とっても素敵ですね♪
山口百恵さんの艶やかで色っぽい歌声もしびれますが、さだまさしさんの透き通る癒しの歌声も素敵です。
この天才2人の「秋桜」皆さんはどちらがお好みですか?
これは単に『表現の手法』の問題で、その捉え方について正しい正しくないはなく、好きか嫌いかの話でしかありませんね。それぞれが最高の表現者である事は確かですね。
こちらの記事もおススメです!
⇒
山口百恵の複雑な生い立ち
スポンサーリンク